慈喜徳はよろこびそのもの
人間が生きる上でもっとも大切なもの
人間の無限の可能性を引き出し、夢を実現する秘訣は
無条件で「ありがとうございます」が自然と込み上げていることです。
これが何よりの財産であり、すべてを好転させてくれます。
理屈や自分の考え方でそういう自分に成ろうとしても絶対になれません。
それを唯一させてくれるのが「慈喜徳」です。
慈喜徳は、ただただ生かされているよろこびと感謝を「ありがとうございます」で天(すべてを活かしている主)に納めさせていただきます。
慈喜徳の繰り返しで、なぜかわからないけれども素直に喜べていて、どうしても計算してしまう自分、こだわってしまう自分を変え、朝目覚めた時によろこびいっぱい、無性にありがとうございますが出てくる自分になっているのです。
太陽、空気、水、自然の恩恵に感謝。
今生かされていることにありがとうございます。
これが慈喜徳の力です。
慈喜徳人生の繰り返し ありがとうございます
あなたに出会えて ありがとうございます。
産んでくれて ありがとうございます。
お父さん、お母さん ありがとうございます。
育ててくれて ありがとうございます。
健康な体をいただいて ありがとうございます。
働かせていただいて ありがとうございます。
いろんな試練を与えてくれて ありがとうございます。
今日も太陽の恩恵を受けて ありがとうございます。
一滴の水、一粒のお米に ありがとうございます。
今日一日、生かしてくれて ありがとうございます。
ほとんどの日本人は、お正月には神社・寺院へ初詣に行きます。そして、賽銭箱に金銭を入れた後、目を閉じ手を合わせて、神仏へのお願い事やお礼を心の中で唱えます。また、仏教の実践項目のひとつとして功徳を積むため金銭や物品を寺社や生活に困っている人に差し出す布施・喜捨があります。
「慈喜徳」とは、自分ができる範囲で、何の見返りも求めず身銭を切ることです。
自分の手から、自分の領域から「離す」。そこには、計算がありません。計算がない繰り返しは、いままで経験したことがない「答え」をもたらします。
学校や社会で学んできたことは、自己の利益やメリットを最重要視します。それとはまったく逆で、計算すると身につかず、計算しなかったら身につくのです。
見返りを求めず、計算がない繰り返しの慈喜徳により、なぜかよろこびが源いてきます。
5円でも10円でも、ときとして1億円でも、生活を営むのに不可欠な、命に匹敵する道具を自ら手放すことで、自己への執着(こだわり)と無縁になっていく。お金では買えないこのよろこびは、どんどん大きくなっていきます。
金額が目的ではありません。金額にはこだわらず、「ありがとうございます」の言葉とともに繰り返すことが大切です。
朝、東から昇った太陽は、1日も休まず、見返りを求めず、ただ万遍なくこの地上にエネルギーを注いでくれています。よろこんで身銭を切らせていただくという計算がない観いが、たとえいまどうであれ、すべて整えてくれるのです。